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2011年3月13日日曜日

恐怖…

 これほどの恐怖を味わった事がありません。
 少し長くなりますし、重たい話題になりますが、私が経験して感じた事を書きたいと思います。
 私は北海道の内陸で育ち、地震はほとんど経験した事がなく、自分で意識した最初の地震の恐怖は、大学時代に住んでいた函館で奥尻沖地震、震度4を経験しました。建物や家具が揺れ、物が落ちて、あの時の恐怖も忘れる事は出来ません。
 阪神大震災の時は、日本中全体がそうだったように、ショックを受け、哀悼の気持ちを持ったのは、私も同じ気持ちでした。
でも、働き始めて数年でまだまだ自分の事が精一杯、しかも、自分の経験も少ない為か、“遠くの場所で起こっている事”としてしか考えられなかったのが正直な気持ちです。
 今回、私の住んでいるここつくばでは、一番最初の宮城沖の地震で震度6弱を経験しました。突然来た大きな揺れに、とにかく、良く言われるような机の下に入るしか頭にありませんでした。捕まっている机の足ももちろん横に大きく揺れ、建物や家具などが揺れる音が轟音のようにしか聞こえず、恐怖感と共にとにかく降り飛ばされないよう必死にしがみつくしかありませんでした。かなり強くて長い揺れが続き、一瞬自分はもう助からないかもという思いが頭をよぎり、とにかく止まってくれる事を祈り続けました。
 何分にも感じる長い地震のあと、少し揺れが収まり、でも、尋常じゃない揺れに、経験の少ない私でも、次がくるのではと思い、「とにかく外に出なきゃ!」最低限持てる物だけ(本当は、ダメですよね…)持って飛び出しました。その直後は、立て続けに、5〜10分おきに大きな揺れがあり、部屋に戻るタイミングが分からず、戻っては、大きな揺れに降り飛ばされないように、慌てて階段を駆け下りる状態でした。
 ダンナ様が戻った後、2時間ほど車の中で余震をやり過ごし、家に戻ったのは、6時頃…
 震度2〜4の余震が継続的に起こり、夜も飛び起きては、とにかくびくびくしながら治まるのを待って、逃げるかどうするか様子を見る状態でした。
 今は余震の間隔が大きくなり、規模も小さくなってきましたが、数十回も超える余震に未だにおびえている状態です。マグニチュード7.0規模の余震も3日以内にくる可能性にも恐怖心を抱えています。ライフラインは、今のところ、通っていますが(場所によって異なります)、水が出なくなる時間も出て来て、電気も輪番で停電になるようです。買い物にも制限があります。
今回の東北関東大震災で、多くの方達が被災し、亡くなったり、住む家を失ったり、けがをした方がたくさんいます。
 自分が経験しないと、なかなか自分の事として考える事は難しいことだと実感しています。
 ここの周辺では、揺れは大きかったものの、津波の影響がなかったので被害は小さいかもしれません。
 この大きな地震を経験し、命は助けられた一人として、宮城や岩手の被害の大きさに大きなショックを受けています。
 とにかく、今出来る事、いろいろな面で節約するだけではなく、有効に使ってもらえるお金など、同じ日本人として、何か出来る事はないかと、真剣に考えているところです。

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